某所で話題になっているようなので、野次馬的に観戦している。批判の出版予定のPDFも一通り読ませてもらった。
まあ、たかが対談を文章にまとめただけのものに学問的な厳密さを求めてもなぁ、という感想と、「キリスト教が不思議」なのではなくて、この社会学者が抱いているキリスト教の幻想の不思議な部分とをごちゃ混ぜに論じてもなぁ、という感想と、所詮社会学者の論理展開なんて飲み屋の酔っ払いのレベルを超えてない(専門外の宗教の話なんだから、間違えても関係ないとでも思っているのだろう)というのを再認識しただけ。
枝葉末節的な誤認は、どうせ与太話ということで、見逃すにしても、キリスト教に対する本質的な誤解をもう少し追及した方が、共感を得るような気がする。まあ、引用されている部分だけを見ても、この社会学者はキリスト教の本質的な部分を誤解していることはすぐにわかるし。一般的な日本人の描いているキリスト教像が、こういうものだという再確認にはなる(別に、こんな本でなくてもわかるけど)。
さて、もともと、学問的な文章ではないということを念頭において、酒の肴的観点から見直すなら、「おもしろおかしく書いてあって、ちょっと話題になって、売れるならそれで万々歳」ということだね。
包丁で人を傷つけられるからといって、包丁に罪はない、そんな用途に使われることを想定していないのを、そういう使い方をする奴が悪い、ということ。
それだけ、世の中、価値判断を他人任せにしている人が多いってことだね。